父と余暇の話
先週の中頃に「次、肺から大きく出血があったら命が危ない 今週が峠である」という主旨の話を医師から受けた。
いつ病院に呼ばれてもいいようにお盆の3連休と、その2日前から合わせて合計5日間は子どもを妻の実家に預かってもらい、体を空けておく体制を取った。妻と妻の実家に感謝!
が、しかし幸いなことにその5日間で病院から連絡が来ることは無く、ただの1人大型連休となった。ちょくちょく見舞いは行ってるけどね。
率直な話、縁起でもないし素人考えなのでアレなんだけど、もはや時間の問題であり、九分九厘厳しいだろうなと思っている。筋力の落ち方(もうペンを動かすことも難しく、筆談が不可能になった)、意識がある時の目つき、頷き方などを見るに、まあ適切か分からないけど、生気みたいなものが急速に失われていっているように感じるのだ。いわゆる、「もう長くない」という感覚だ。
祖父母をはじめ、身内の死と接するのは幼少の時からある程度のスパンで経験がある(ほとんど誰でもそうだと思うけど)。が、このスピード感かつ、自分の父となるとやっぱり見え方が違うなあと思う。
あれほどパワフルに生きていた、尊敬する父の、もしかしたら最期に近いかもしれない姿を直視するのは正直かなりしんどい。医師の話を聞くよりも、もしかしたら亡くなるという事実(仮定の話だよ)よりも自分にはダメージがあるかも。
でも、自分がどうというよりも、父が寂しくないようにするのが最優先だよなと思う。自分が手を握って声を掛けることでほんの少しでも寂しさや辛さが紛れるなら、と思うようにしている。
ただやっぱり対面するのがとにかくダメージがある。いざお見舞いで対面すると、こんな悲しいことがあるのか!っていうぐらいの凄まじい大波が脳内を駆け巡るのだ。
ほんの2週間前まで、2泊3日で仲間達とゴルフ旅行に行っていたのだ。会社の懇親会でバーベキューにも出ている。
ちなみに病名は急性ホワイトブラッドである。本当に前兆が無く、既往歴も一切無く、突然であった。遺伝性も無い病気らしい。
正しく病名を出さないのは、これから事実を知った社員などがめちゃくちゃ調べ始める人が少数居るだろうから、病名でこのブログをヒットさせないため という理由なだけであります。
ともかく1人大型連休はひたすらに家で過ごした。これは父のこととは関係なく、自分がインドア気質だからである。
日中はRTA in Japanと甲子園、夜はEWC(サウジアラビアのeスポーツイベント)とオリンピックを見つつゲームをする で丸5日終わった。やっぱりこの過ごし方が1番リラックスできる。EWC最終日は知り合いのスト6勢とDiscordで集まって実況した。
自室で1人で過ごす時間が自分にとって最高の余暇、というのはこういう事態においてはラッキーだったなと思う。
人と会ったり飲み歩くのが最高の余暇だった人はコロナ禍はなによりも辛いものだっただろうし、自分にとって旅行がそうだったらきっと今の状況は辛いものになっただろう。「家余暇最高」は大抵の状況において強い。
ゆえに自分は災害で避難所生活が1番キツいだろうな。まあどんな人でもそれはめちゃめちゃキツいだろうけど。