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先日アウトレットに買い物に行った。

自分は服に全く興味が無く、見た目に頓着が無い。傷んで穴の空いたパンツ(ズボン)も平気で履いてしまうし、ヨレヨレシワシワの上着で外出できてしまう。それなりにおしゃれに気を使う妻(ブランド物も結構好き)からガチで「隣を歩きたくない」と言われたこともあるぐらいだ。

ということでたまにアウトレットでシーズンごとの服を買う というのが自分なりのベスト行動である。安いし妻に選んでもらえる。子どもと過ごす時間としても悪くない。

 

今回行ったアウトレットは基本的に屋外を歩くタイプなんだけど、すっかり油断して日焼け止めを塗らずに行動してしまった。その結果、手の甲に湿疹がガッツリと…。日光過敏症だね。

この体質になって10年以上経つけど、どうにかならんかな~~。本当にちょっとずつだけど、年々反応が過敏になっていってる気がするんだよな。

 

 

子どもの胃腸に異変が起きてるっぽく、嘔吐を2回ほどして熱が急激に出た。39.6℃!

日曜の夜間だったのですぐに小児救急電話相談の#8000に連絡しアドバイスをもらう。

おそらく感染性胃腸炎であり、痙攣や目が合わない・寝ても1時間ごとに目を覚ます・ずっと泣き止まない 等の事が無ければ家で安静に過ごし、翌日小児科を受診してくれとのことだった。熱が高くても眠れないほどじゃなければ解熱剤の投与もしなくて良いっぽい。

幸い子どもはいま寝静まっており、脱水症状も見られない。言われた通り過ごし、明日無事に病院に連れていけることを祈る。

 

こういうしっかり辛そうな目に遭うと、ま~~~可哀想で代わってあげたくて仕方ない。1億ぐらいなら払うから、子どもに起きる何かしらの不調はすべて自分が請け負う契約をしたい。35年ローンで共働きの妻と一緒にがんばって返すから。

普段の風邪なら「うわ、ダルっ」ぐらいに思ってしまう薄情さなんだけど(全力で看病はします)、しっかり系は一気にこちらの精神を削ってくる。

重病とか事故の場合、自分は正気を保てるだろうか。いや絶対に無理だな。信じられないほどに取り乱す自信がある。事故とか病気を取り上げるニュースを見るだけでいつも軽く泣いてるからな。

 

 

ゲーム

GWに入る前ごろから忙しくてFF14は週制限トークン獲得以外の行動をしていない。それもメインジョブの忍者は武器以外IL600が揃っているのでもうあんまり必要無いんだけどね。

来週(22日の週)には忙しさが一段落すると思うけど、それまでは零式3層の練習もお預けかな。これまで1日のプレイ時間は短くともほぼ毎日ログインしてきたけど、一旦途切れるとそうこうしてるうちに6.2を迎えてしまいそうでちょっと不安だ。一切もう5日ぐらいログインしていない。7月からはモンハン サンブレイクに2ヶ月ぐらい費やすだろうし、しばらく14はおやすみだな。

 

サンブレイクは普通に楽しみである。ライズはしばらくヌシが一般クエストに出てこなかった以外に不満が無い。ソロで存分に楽しめる仕様で大満足だ。

心配は無印から継続して「百竜夜行がどんな扱いになるか」である。やっぱあんまり遊びたいモードでは無いからね。

 

 

著名人のエッセイや日記を読むのが結構好きだ。

原体験としては東野圭吾の「あの頃ぼくらはアホでした」で、小学5年ぐらいの時に実家の本棚にあったものを読んだことがきっかけで好きになった。母親が東野圭吾ファンだったのである。当時自分は彼の小説は未読で、むしろ小説家であることすら認識せずに読み始めたかも。

荒れてた中学校のエピソードは今でも記憶に残っている。「中学高校ってこえ~」と同時に「中学生でもアホっているんだな」と小学生当時の自分に思わせた。

実際自分が中学校に上がってみるとヤンキー文化なんてものはほぼ残っておらず、平和そのものであった。自分自身もヤンキー素養は皆無で、なんなら生徒会役員であった。

まあそれはともかく、エッセイを読む面白さに気づいたのは東野圭吾きっかけである。

 

「誰にでも日常があって、物事に対して何かを思うんだな」という認識が初めてそこで生まれたかも。若いというか、小さい頃ってどこか自分が世界の中心のような、自分以外が完全に脇役・エキストラという印象で暮らしていたような気がする。これは自意識過剰って意味じゃなく、他者も自分と同じ人間である というイメージが湧いてなかったという感じかな。

で、他人がどう考えているか、出来事・物事に対してどういう反応をするのか ということが面白いと思わせてくれたのがエッセイという存在である。

 

最近だと「トーフビーツの難聴日記」を読んだ。

難聴日記はタイトル的に「ミュージシャンが難聴になってしまった。どのような葛藤があり、どう克服(折り合い)していくか」というような話が盛り込まれているだろう と予想していたけど、実際は基本的に普通の日記であった。なんなら難聴のことよりもアップル社製品の不調について記される文量のほうが多い。
もちろん難聴についても折に触れているけど、まあまあ序盤の同業者とのくだりでそれに対する精神的決着がついているような気がした。

そして当然ではあるが、文中にはトーフ氏の葛藤や苦悩が見え隠れしていた。突発性難聴はストレスが原因であることが多いということで、本から読み取れる彼の性格からしてかなりストレスは大きくのしかかっているだろうな と推察できる。

そして彼の異常性(間違った、失礼な表現だと思う)もまた本から読み取れた。ちょっと自分では考えられないほどに1つ1つに執着してるというか、帰結みたいなものがあるのだ。ほとんどの事象に対してケツまで追っかけてる。途中で投げてないし、どうでもよくなってない。新しいiPhoneを買ったのに自力で機種変更するのが面倒になり、丸1年放置した自分とは発想やスタンスがまるで違う。いや自分が正常であるという認識は無いけども。

巻中のin the blue shirt有村氏のコラムは膝を打つような気持ちになった。実直、まさにそれだ。偏執的というよりも、ひたすらに実直。たしかにそこが彼の個性であり魅力だなと思った。いや自分がトーフ氏の何を知ってるのかという話ではありますが…

本と同時リリースのアルバムはまだ聴いてない。子どもの不調が治って仕事のバタバタが収まったら聴きます。

 

「他人が何かについて思うこと」に興味があってエッセイを読んでる割りに、自分はTwitterInstagramをその用途としてあんまり活用していない。

Twitterは趣味・経済 の情報収集ツールとして、Instagramはセクシーな女性の写真を見るため という存在である。

ソーシャルな場だと、自分が求める「あの感じ」が出ないんだよな。どちらかというとブログや日記みたいな内に向いた場で、その人にグッと寄った環境でしたためる文章こそが「あの感じ」が出ると思っている。

あと出来るだけ自分と共通点が少なく、接点が無い人の文章が読みたいので著名人のエッセイが割りと好みになりがちである。