先日父が亡くなった。

すでに葬式は終えており、あとは四十九日と納骨で一旦の区切りである。

 

病気発症から亡くなるまでおよそ4ヶ月、目まぐるしい日々だったけど、父の今際は「良い」ものであった。まだ70歳にもなっていないので平均で考えれば早いし、120まで生きると冗談半分で言っていた人である。こちらとしても当然ながらもっと長生きして欲しかったんだけど、まあそれでも悪い終わり方じゃなかったと思う。

症状だったり、抗がん剤の副作用だったりで極めて厳しい闘病生活だったにも関わらず一言も弱音を吐かず、お見舞いの最後には必ず「ありがとう」と言ってくれていた。もう長くない状態になり、緩和ケアに入っても「人間の本性」的な行動や呪いの言葉を吐かず、こちらの気持ちを動揺させるような事は一切無く穏やかに逝った。最後まで誇れる父のままでいてくれたのである。

 

父は社会的に見ると成功者の部類で、知人友人も非常に多いタイプである。色々と「死」に関するボリュームが高い。

自分が喪主を務めることになったんだけど、イメージで喪主は地獄を見るんだろうな~と思っていた。が、実際始まってみると全然大変じゃなかった。むしろほとんど日常生活に支障が出ない。期間中、仕事も子育ても犠牲にならなかった。

これは葬式を家族でやらず、会社と合同で主催するという形でやったのが大きかったね。

さらに周りが気をつかいすぎて仕事をさせてくれなかったので、何ならヒマであった。普通にゲームしたり昼寝して葬式までの日々を過ごした。

「喪主が大変じゃなくて何ならヒマ」はそういった事情もあるけど、「彼の死ならば、手を貸させてください!」という人が大勢いたことも大きい。自分は決めるだけで、実作業は誰かがやってくれちゃうのだ。なにかをリスト化したり、色んな人に連絡しまくったり、みたいな作業が自分には一切まわってこなかった。

これは本当に凄いことだと思う。きっと自分の番ではこんなことは起こらない。父の人との付き合い方や、成してきたことがこうやって形に現れているのである。

凄い人であることは重々分かってきたつもりだけど、今回が1番強く感じた。良い体験させてもらったな~という気持ちだ。そして手伝ってくれた方々、本当にありがとう。

 

葬式は必要に応じて盛大に行った。病気が予兆無く突然発症して亡くなるまで短期間であったこと、病状の乱高下が激しく感染症を考慮する必要があったので入院や状態の伝達を必要最小限の人に絞ったこと、といった要素があったので世間にちゃんと知らせるため&お別れの機会を設けるためにドカンと予算をかけた。葬式とは別に、地元で行ったお別れセレモニーも含めると平均予算の10倍ぐらいかかった。供花は200以上、弔電は100近く来た。

喪主として意識したことはとにかく堂々と振る舞うこと、である。父の成したことをある程度引き継ぐ立場なので、「こいつ大丈夫か?」の空気は発生しないようにしておきたかった。

実際自信があるので虚勢では無いんだけど、ちゃんと「大丈夫です、頑張ります!」と思っている事を相手に分かってもらえるよう、苦手だけど相手の目をまっすぐ見て喋ったり、目力をいつもより2~3割増しで強くする意識をしていた。式前には美容室と眉サロンに行った。ヒマで助かった~

ということで周りの協力のおかげで大きい規模の式を無事終えることができた。たくさんの人に送ってもらえたので父もそこそこ満足してくれただろう。

 

よく亡くなってから葬式までがバタバタ過ぎて死と向き合う時間が無く、式を終えてから実感する みたいなこともあるけど、おかげさまで自分の時間がたっぷりあったので式の前後で気持ちの大きな動きは無かった。

まあ病気が分かった瞬間に九分九厘厳しいと思っていたし、お見舞いもかなりの頻度で行っていたので整理は自然と出来ていたんだろう。1番そばで見ていたのが良かった。

 

ひとまずお疲れ!年始はゆっくり休みましょう。